協会の沿革

協会の沿革
日本の西洋料理の起源は、16世紀末、キリスト教の伝来とともに、西洋の料理が日本にもたらされたことから始まりました。
 その後、江戸時代の鎖国時代は、長崎の出島を通じて、また幕末には黒船の来航により、開港した居留地から西洋の食材や調理法が徐々に広まってきました。
  明治の時代に入ると、外国人の数もふえ、長崎、横浜、東京、札幌を中心に、西洋料理を提供するホテルや食堂がふえ、それとともに、西洋料理に従事する調理人の数もふえてきました。
  1925(大正14)年10月24日、各地の司厨士の団体が、東京・日比谷の松本楼に集まり、「日本司厨士協同会」が結成されました。
この協同会のもとに、全国のほとんどの地域に支部と班が結成され、活発な活動が始まりました。
  しかし、昭和10年代の世界大戦で、働き盛りの司厨士たちは、召集と徴用のため職場から離れていったため、「日本司厨士協同会」は自然解散の状態になりました。
  戦後の動乱も一段落ついた1956(昭和31)年7月8日、個別に活動していた司厨士の団体(日本司厨士富友会、東海料飲技術連合会、日本司厨士連合会、四国司厨士協同会、西日本司厨士協同会の5団体)によって、「全日本司厨士連合協議会」が結成されました。
  1958(昭和33)年5月18日に、「全日本司厨士協会」設立を前提に、「全日本司厨士連合協議会」を発展的に解消し、同日、「全日本司厨士協会」が設立されました。
 次いで、1959(昭和34)年6月26日に、念願の公益法人の許可が厚生省(当時)からおりて、「社団法人全日本司厨士協会」になりました。
  2008(平成20)年12月1日より新しい公益法人制度がスタートし、「社団法人全日本司厨士協会」は2011(平成23)年3月22日付で、内閣府より公益社団法人として認定され、2011(平成23)年4月1日から「公益社団法人全日本司厨士協会」になり、今日に至っています。


公益社団法人全日本司厨士協会の目的
この法人は、広く国民の健康長寿づくりのため、西洋料理に関する栄養及び食品衛生の普及向上を図り、併せて調理技術の改善に努め、もって安全で安心できる国民食生活の増進に寄与することを目的としています。
 また、この目的を達成するために、全国都道府県内及び諸外国内において、次の事業を行っています。
  1. 国民栄養、食品衛生の普及向上に必要な講習会の開催
  2. 栄養衛生教育の普及及び調理技術の向上に関する教育
  3. 各種料理コンクール、料理オリンピック等の開催及び協力
  4. 西洋料理に関する機関紙及び図書等の発行
  5. 関連諸団体の活動に関する情報交換、助言及び協力
  6. その他この法人の目的を達成するために必要な事業

司厨士の名称について
奈良・平安の昔から、食事を調理する所を「厨房(ちゅうぼう)」と呼んでいました。この「厨(くりや)」は、「食糧を保管する所、食物を調理する所、台所」を意味します。「厨を司る人」から、料理人は「司厨人(しちゅうにん)」と呼ばれていました。
 また、明治、大正、昭和の時代になって、世界各国を結ぶ交通機関として活躍した艦船・商船で、料理を担当する者・給仕をする者(ボーイ)を総称して、「司厨士(しちゅうし)」と呼んだことに由来して、主に「西洋料理」に従事する料理人を、自信と誇りを持って、「司厨士」と呼ぶことにしています。